史料纂集・義演准后日記・3冊/豊臣秀吉の帰依を受け醍醐寺を造営した三宝院義演の日記・庭園や建築の歴史を究める上で欠の史料とされる

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史料纂集・義演准后日記・3冊/豊臣秀吉の帰依を受け醍醐寺を造営した三宝院義演の日記・庭園や建築の歴史を究める上で欠の史料とされる

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史料纂集・義演准后日記・3冊/豊臣秀吉の帰依を受け醍醐寺を造営した三宝院義演の日記・庭園や建築の歴史を究める上で欠の史料とされる

義演准后日記3冊でまとめてみました。 昭和51年 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。

醍醐(だいご)寺80代の座主(ざす)で、准后(准三宮(じゅさんぐう))の称号を下賜された真言宗僧侶(そうりょ)義演の日記。1596年(慶長1)から、示寂(じじゃく)の1626年(寛永3)に至る間の日記で、62冊ある。内容は、醍醐寺内三宝院、光台院の復興や、後七日御修法(ごしちにちみしゅほう)などの修法の復興、『醍醐寺新要録』の編纂(へんさん)の過程など、醍醐寺山内の動静が逐一記されているが、さらに豊臣(とよとみ)秀吉や徳川家康との関係なども記録されている。自筆本が三宝院に所蔵されている。

豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。

〔収録範囲〕
1巻:1596〔文禄5〕~1598〔慶長3〕
○三成東南院縁起を所望し奥五行を切取る
○醍醐郷にて高野聖殺さる
○秀吉近衛信輔菊亭晴季の赦免を下知す
○秀頼初度上洛家康以下諸大名供奉
○明使伏見参着
○明使節上洛のため武者揃用意
○大地震京都死者無数
○伏見城被害
○秀次誅戮
○秀吉耶蘇教徒廿七人を処刑
○秀吉醍醐寺五重塔修理を命ず
○秀吉朝鮮出兵
○善光寺如来方広寺に遷座
○群集如来に参詣す
○二条昭実に満済准后日記披覧
○足利義昭歿す
○高麗より耳鼻樋送来りこれを塚に埋め施餓鬼を修す
○関東真言宗と本山方山伏相論
○高麗国王子三人帝王弟を捕え連帰る
○上杉景勝会津へ転封
○醍醐の花見
○太田牛一来る
○十二類会上巻を買戻す
○秀吉不例平癒のため禁中にて大元帥法を修す
○秀吉死期を覚り諸方へ金銀を贈る
○浅野長政ら五奉行に後事を托す
○前田玄以より新知拝領の沙汰あり
○玄以に境内指出を提出
○応其東寺講堂建立を指揮
○義演伏見に家康を訪う
○義演秀吉の恩を深く謝す

〔収録範囲〕
2巻1599〔慶長4〕~1601〔慶長6〕
○秀頼伏見より大坂へ移徙
○五奉行衆元結を払う
○家康勢多数上洛
○落雷により東寺塔心柱焼く
○島津忠恒伊集院忠棟を殺す
○三成佐和山城に退く
○秀吉を阿弥陀峯に葬る
○豊国明神遷宮人々群集す
○秀吉一周忌
○大名残らず豊国社に参る
○家康の大坂下向は秀頼への礼か
○高野山衆徒と紛争あり
○応其理徳院を殺す
○家康大坂城二の丸に入る
○義演大坂城の華麗さに驚く
○秀頼三十三間堂千体仏を修理し応其奉行す
○堺に唐船を見物し大船に驚く
○寺誌編集のため醍醐要書を見る
○家康会津の上杉氏征討
○大坂の情勢不穏
○毛利輝元大坂城西丸へ入る
○三奉行家康の罪を列挙す
○西軍伏見城攻撃
○田辺城孤立す
○家康八万騎にて上洛という
○三成行長恵瓊梟首さる
○輝元降伏す
○家康根来寺再興を許す
○公家に新知を給すという
○家康禁裏に新知を上す
○伏見城遺構を御影堂に望む
○応其関ケ原戦後近江に退く
○秀頼神号を書す
○諸家諸門跡に新知加増

3巻:〔収録範囲〕
1602〔慶長7〕~1604〔慶長9〕
○醍醐寺新要録座主職の部を書す
○家康佐竹義宣の知行地を没収す
○家康伏見城にて理性院公秀と僧侶内紛の事を糺明す
○朝鮮国人に理趣釈要抄を書写せしむ
○方広寺大仏殿炎上
○家康に征夷将軍宣下
○家康将軍宣下御礼のため参内
○二条晴良二十五回忌
○秀頼祈祷のため大坂へ下向
○京中博奕禁止の風聞あり
○秀頼と家康孫女千姫との婚儀
○秀頼婚儀の賀に大坂城へ出仕
○秀吉の威光未だ相残る
○山伏衣体并に諸道具の事
○役行者の事
○山伏袈裟の件につき家康の直裁を仰ぐため伏見に赴く
○醍醐寺縁起を書写す
○釈迦院経蔵に赴き終日聖経を披見す
○義演醍醐寺寺誌の編纂に着手し醍醐寺新要録と号す
○醍醐雑事記醍醐寺要書を資料とす
○大坂城に大般若経を真読すべき由大蔵卿局より申来る
○大坂城に出仕
○醍醐寺座主次第の異本を書写し満済義賢以下を書加う
○秀頼比叡山横川中堂を造営
○秀吉七周忌
○豊国社臨時祭見物に向う
○見物に貴賤群集す

義演准后日記【ぎえんじゅごうにっき】
醍醐寺座主の三宝院義演の日記。1596年から1626年までの自筆原本62冊が伝わり(1614年と1615年の各一部を欠く),醍醐寺三宝院が所蔵する。国指定重要文化財。〈慶長元年大地震記〉〈慶長十九年有馬湯治記〉などの別記もあり,紙背文書には重要なものを含む。日記の時期は豊臣秀吉の晩年から3代将軍徳川家光の治世初期に至る時代であり,公家・武家の上層部と親しく,政界に近づいた義演が,醍醐寺関係の記述にとどまらず,武将や朝廷貴族層,仏教界の動向まで書き留めており貴重である。《史料纂集》所収。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア

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